カナリヤです⑥

こんにちは、カナリヤです。 今回も、前回と同様、私のコメントのみ掲載させて頂きます。 新学年になり、私は中学3年生になりました。 今週の水曜日にあったクラス発表に、私は登校することは出来ませんでしたが、放課後にクラスを確認しに行きました。 自分のクラスと、クラスメイト、担任の先生が分かり、その日は学校を後にしました。 学校に行く前までは、これからも施設の方に通う予定でしたが、クラスを確認した今、少し迷う所があり、中学校に行ってみようかなという気持ちが出てきました。 ですが、施設に通うか、中学校に通うか、なかなか決められず、時間ばかりが過ぎました。 そんな時、私の友達から連絡が来ました。 連絡の内容は、”カナリヤと一緒のクラスで嬉しい”というものでした。 それを見た時、私はとても嬉しかったです。 その友達とは、8ヶ月前に連絡をしたきり一度も会っていなかったため、倍嬉しく思いました。 そして、私はやっと決めました。 明日、中学校に行ってみようと。 明日は、始業式と入学式のみで、例年では、入学式にも在校生は参加していましたが、今年は、コロナウイルスの影響で在校生は始業式が終わった後、入学式には参加せずにそのまま下校することになったため、1時間ほどしか学校にいません。 そのため、行くなら明日しかチャンスはないと思い、明日、中学校に登校することにしました。 ですが、その晩。 やはり、”行きたくない”と言う悪魔の感情が出てきて、それを”だけど、友達が待ってるよ”と言う天使の感情で必死に追い払ったため、夜はあまり寝つけませんでした。 そして、次の日。 友達の力もあり、中学校に登校することが出来ました。 1時間ほどで下校のため、直ぐに家に帰ってきました。 ですが、私の気持ちは複雑で、”1時間だけでも行けた”、”明日も学校か、嫌だな”、”だけど、友達がいる”、”でも、やっぱり行きたくない”と言う感情が渦を巻いていました。 この事を、私はお母さんに話したく、でも、どう話せばいいのかが分からず、思ったことを言えないまま時間ばかりが過ぎ、そこで1度お母さんともめました。 “カナリヤの、こういう思った事を言わないで夕方になってガタガタ騒ぐ所、昔から1つも変わってない” 呆れと怒りがこもった顔をするお母さんに、私は返す言葉がありませんでした。 事実だったからです。 昔から私は、思った事──本音を言えず、夕方になってガタガタ騒いでいました。 ですが、それは良くないと気付き、お母さんと”思った事はどんな些細な事でも直ぐに言う”と約束をしました。 それからは、どんな小さな事でも、笑い話でも話すようになりました。 しかし、”今、本音を言う所”という所で、私は本音を言えませんでした。 それは、昔と何一つ変わっていない事を示していると思いました。 無言の私に、お母さんは続けました。 “お母さんもお姉ちゃんも理由はともあれ、仕事に行ってるでしょ?” その言葉にも私は返事が出来ませんでした。 私には8つ上の姉がいます。 その姉も、何があっても仕事に毎日行きました。 それを私は自分の目で見ていました。 そのため、”行きたくないから騒いでいるのは私だけ”、”私の心が弱いから、行きたくないって騒いでる”そう納得しました。 ですが、納得しても、やはり心はとても痛かったです。 “こんな思いまでして生きるのか”そう思いましたが、”生きていれば、これが必ず報われる”、”生きなければ、未来は見えない”そう思い、悪魔の感情を追い払いました。 その時、お母さんのお姉さん──私にとったらおばさんから、お母さんのスマホに連絡があり、その内容は、”お母さんのお母さん──私にとったらおばあちゃんの体調が悪いから、もしかしたら、夜に緊急事態で、電話で呼ぶかもしれない”というものでした。 そして、その晩、連絡の内容通り、お母さんはおばさんに電話で呼ばれ、おばあちゃんの所に行きました。 私達は先に寝たため知りませんでしたが、お母さんが帰ってきたのは夜中の12時を過ぎた頃でした。 そして翌日を迎えました。 私は、一応学校に間に合う時間に起き、お母さんのいる台所に行きました。 すると、お母さんは、おはようと言った後に、「ごめんね、カナリヤ」と言いました。 私はなんの事か分からず、何も言えませんでした。 そんな私に、お母さんは続けました。 「昨日の夜、お母さんのお母さん──おばあちゃん家に行ったんだけど・・・家が泣いてたの。 感じるとかじゃなくて、家が泣いてたの。 きっと、あれはおばあちゃんの心だと思う。 一人暮らしで寂しかったのかもね。 だから、それでお母さん分かったの。 カナリヤも、寂しかったのよね? 小さい頃から、寂しかったのよね?」 その言葉を聞いて、私はさっきの”ごめんね”の意味が分かりました。 ですが、私は小さい頃に寂しかったのかは覚えていないので、分かりません。 その事をお母さんに言えば、「覚えてなくても、ごめんね。 カナリヤの心は泣いてるのよね。 なのに、昨日あんなこと言ってごめんね」 とお母さんは言いました。 それを聞いて私は、”たしかに、昨日のあの言葉は心にグサッと刺さったけど、あれは事実で、私にも非がある”そう思い、首を横に振りました。 ですが、お母さんは、「ううん。お母さん分かったの。 昨日、カナリヤにあんなこと言って、また昔と同じことを繰り返すところだったって。 おばあちゃん家に行って気付いたの」 そう言いました。 さっきお母さんは、”おばあちゃん家が泣いていた”と言っていたから、それで気付いたのかもしれないと察しました。 その後、おばあちゃんの話などをした後、中学校の話になり、戦いました。 “戦った”と言っても、昨日のようなものではありません。 私が泣きじゃくったのに変わりわありませんが、それで私の本音が出て、それをお母さんが聞いてくれる、昨日よりもあたたかいものでした。 そして、1時間程格闘をし、ついに”答え”が出ました。 お母さんは最初は、「カナリヤなら中学校に登校出来るよ。昨日、1時間だけでも登校できたから、カナリヤなら大丈夫」と言っていましが、途中からは、「そっか、カナリヤが行くんだもんね。お母さんが言うことじゃないね。カナリヤが選ぶ道をお母さんも応援するから。中学校を選ぼうと、施設を選ぼうと、家を選ぼうと、途中で離れたりしないから」と言いました。 その言葉を聞いて、私は、”家”と言う選択肢はなかったと思いました。 そして、数分後に、私は決断をしました。 “中学校に通うのではなく、施設に通う”という事を。 その事をお母さんに言えば、「初めて自分で決めれたね」と笑顔で言われました。 それを聞いて、私はふと考えました。 “たしかに、私は今まで中途半端で、「学校に行きたくない」とは言っても、「行かない」とは言わなかった”、”その後が怖いから、1人でそれを背負うのが怖かったから決断しなかった”、”だから、今日の朝みたいな格闘が毎日毎日続いていたんだ” そう思ったら、また新たな”答え”が見つかりました。 それは、何があっても”生きる”ことを放棄しないで、”生きる”事を大切にする事。 “今、本音を言う所”という所で、泣く前に、自分の本音を些細な事でも話すようにする事。 人を頼ることも必要という事。 確かに自分で決断するには、責任も重くなるけど、自分の人生だから、自分で決断する事。 この4つです。 そして、これらを見つけられたのには、朝の格闘があったからだと思います。 格闘をすると、良い気持ちにはなりませんし、心のバランスも不安定になると私は思います。 ですが、その格闘があったからこそ、私の成長する部分などが見つかったんだと思います。 そう思うと、朝の格闘も捨てたもんでもありません。 格闘の最中は、私は、とても心が痛かったです。 涙がたくさん溢れました。 ものにあたりました。 心が傷つきました。 ですが、そのおかけで、私自身を見直すことが出来ました。 そして、”本音”と言う大切さ、”人を頼る”大切さ、”決断”と言う重みと大切さに気付けました。 自分一人で解決する問題も時にはあると思います。 ですが、自分一人じゃ手に負えないものも時にはあると思います。 そんな時は、生きることを放棄するのではなく、生きることに希望を持ち、自分の本音を相手に話し、相手を頼り、決断を出すことも大切だと思います。 私はこれからも、”生きる”、”本音”、”人を頼る”、”決断”の4つを忘れずに生きていきます。 最後に、ここまで読んで頂きありがとうございました。 長文、失礼致しました。

お問い合わせ

ご予約はお電話から承っております。
また、ご不明な点などございましたら、お電話や
お問い合わせフォームから
お気軽にお問い合わせください。

お問い合わせ先 / まりあ~じゅ

TEL 0285-32-6961

お問い合わせフォーム

LINE

※LINEのご登録はこちらからお願いいたします。